東京電機大学未来科学部教授 安田浩さんインタビュー

今回は、東京電機大学未来科学部教授安田浩先生にインタビューさせて頂きました。安田さんに学校での研究教育や今後の機械化による労働の変化についてお話しを伺いました。

東京電気大学安田教授

いつから研究に携わる様になりましたか?また、どの様にして研究を指導していらっしゃるのですか?

私が大学の先生になったのは18年前で、以前は日本電信電話公社(現: NTT)の研究所にいました。なので授業で研究を教えるという経験はなかったですね。研究所に25年勤めていましたが、20年間は画像通信研究部にいまして主任から部長まで勤めていました。

その後は本社の開発部門に少し参加したり、情報通信研究所の所長にもなりました。しかし所長になると単なるマネージメントなのであまり研究の面倒は見れず、研究所にいるという感覚はあまりありませんでした。新人に研究を教えるというのは大体最初の10年くらいまでなので、その後は自学をしてもらい、さらにひとつその下の研究生を教える形になります。なのでNTT時代の研究を教えるというのはそれほど意味は無いと思います。さらに、みなさん元々研究が好きで入ってきているので、当然自分達で研究をしてもらうという考えですね。

そして私は、18年前に東京大学の先端科学技術研究センターに入りました。この時も私は、学生達はドクターを目指して入ってくるならば、自分達で進んで行かなくてはならないと考えていました。しかし、研究において会う必要がある人がいるならば私は必ず会わせてあげます。そういう風に困っていたり、知りたいという悩みがある時は必ず協力をします。私にはそれだけしかできませんので。当時の学生は課程博士で15人、論文博士で15人、合計30人程はドクターになりましたが、皆んな自分達で自学して自分の力で取っていきましたね。

大学に来られてからの18年間で、研究の進め方や傾向は変わっているのでしょうか。

大学によってもレベルが異なりますし、東京大学と電機大学では博士課程と学部学生で異なるのでもちろん研究内容は異なります。5年程前にゆとり教育の世代がいた頃は確かに意欲は低いように感じられました。しかしそれも近年では少しずつ上がってきていると思います。そういう意味ではどの年も大きな差は無いと思います。

しかしここで問題なのが、与えられたものを覚えるだけでは困るということです。高校の授業とは違い、大学では社会人になるための訓練という考えになってきます。ただ覚えるだけではなく、覚えたことが何に活かされるのか。また覚えたことに対する問題はないのか。この二点を考えていかなくてはいけません。「失敗してもいいですが、その中から問題を見つけなければダメだ」ということを常に生徒に言っていますね。

高校生の頃から自分でWebページを作成するなど、大学に入る前から自発的に活動している学生はいらっしゃいますか?

全然いませんね。高校までは教えてもらうのが主ですので、大学に入っても同じように考えているのではないかと思います。もちろん大学でも教えますが、それは社会に出て問題解決するための道具です。まず問題解決の意欲がなければ役に立ちませんので、教えたからといってできるわけではないということですね。

自発的に意欲を持って学ばなければいけないとのことですが、その点について問題点はありますか?また、その問題を改善する方法はありますか?

一番の問題は、高校の時のパッシブな意識をいかにアクティブに切り替えるかですね。これに成功すると伸びていきますが、ずっとパッシブなまま押し付けられたと感じた学生は伸び悩んでしまう可能性が高いです。反転授業、アクティブラーニングをまずやるということは、世の中をまず見て感じる。これが一番大事ですね。それを知らないと、何が変わってきたのかが分からないという問題になりますので。そして一生懸命勉強をして、次に何をやろうかということに気が付いてくれればいいですね。

人を育てていく時にはトップの1%に集中するか、全体的に底上げするか、という二つの方法があると思います。今後日本のソフトやプログラム教育において、どのようにしていくのが望ましいと思いますか?

大学など公的な教育機関は全体の底上に取り組んでいます。バラエティが広くなっている為、どの様にして根底をさらに持ち上げていくかが重要です。ただし全ての公的機関に言えることですが、稀に天才というものも存在します。その天才を育てるためには別の機関がちゃんと用意されるべきだと思います。例えば、テニスの錦織選手などは明らかに別の機関で育てられていますよね。

彼らをちゃんと育てようと思うと、大体1人年間1500万円かかるそうです。ファンドマネージャーの中にはこういったことに投資をして英才を育てることに興味を持っている人もいますので、そういった形が得策なのではないでしょうか。むしろ、それしか方法はないと思っています。普通の教育では英才は育ちませんし、やはり個別にやっていかないといけないと思います。

雑誌等ではソフト屋が人の雇用を奪うというような記事が掲載されていることもありますが、特にOfficeのような経理処理が非常に自動化されていく中で、そういった雇用の問題をどうしたらいいのでしょうか。

これはMicrosoftの良い例ですね。彼らは2年ごとにOSを取り替え、さらに新しいものを製作しています。なぜなら、継続して精度を新しくしていかないと需要が生まれないからです。その為、製作する人間と前の製品をメンテナンスする人間が必要になります。なので、雇用が増えていきます。ソフトが変化していくとなると、作り手も増えていかなければなりませんからね。しかしここにきて何が起こっているかというと、「もう変わらなくていい」「もう十分だ」という意見が多いんです。変わったところでどのような恩恵があるのか、という疑問があります。プログラムをして新しい機能を発明するということは大いに必要だけれども、工学部系が全部それでまかなえるのかも疑問ですよね。そうしますと、工学部を縮小しなくてはいけないのかという懸念に繋がっていく可能性はあります。

インバウンドマーケティングのような、商品を購入するであろう人が知りたいと思う情報をインターネット上で発信して顧客を獲得するというやり方がありますが、そうしますと営業職の活躍の場も減ってくると思います。将来的にそういった職業に就くケースの多い文系の学生ですと、理系に比べてより不安が強くなるのではないかと思うのですが。

日本の場合には面と向かってコミュニケーションを行うことを重要視する傾向があります。しかし、機械で出来ることが増えていくことにより、確かに文系の職場はなくなっていく可能性が高いと思います。会計なども数字を入力するだけで作業が終わり、その作業も機械同士で行えば判断を下すだけになります。そうしますと必要なのは判断する人間だけですので、本当の事務というものはいずれ減ってくるでしょうね。

例えば自動車の例をとりますと、昔は大変な作業であったメンテナンスが今ではメンテナンスフリーになりました。消耗したら取り替えて終わりという様な形になっています。根本を作る人は必要ですが、今までメンテナンスを行っていた人達は仕事を失くしてしまいます。このような日常茶飯事のルーチンワークはほとんど機械に置き換わってしまい、その部分が減ることは間違いないでしょう。それは理系も文系も同じです。そしてその部分に今はたくさんの人が就職しています。行き場を失った人達はどこにいけばいいのでしょうか。これをどう改善するかが問題ですね。余裕のある生活が保証されるのであれば、逆に文化的な部分に話を持っていけば良いと思います。例えば、絵を描いたり、俳句を作ったり、講釈したりなど無限にあるわけです。

しかし、将棋などの知的ゲームは機械が勝つ時代になっています。ただルール通りにやれば良い様なものでは、コンピュータが勝ってしまうから面白くない。ではスポーツはどうでしょう。ロボットが生まれてきた時、例えば陸上競技でバネをつけた選手が出てくれば速いですよね。機械によってより速く走れる人が出てきた時、人間が機械なしで一生懸命やるゲームは面白いのだろうか?という議論になってきますよね。そこが段々変に感じるのではないかと思います。

上記の問題を踏まえた上で、学校での教育はどのようにしていけば良いのでしょうか。

専門学校は専門の技術を身に付け社会に出てその能力を使うことを目的としています。これに対して大学は、教養と手段と専門を身に付け、その上で向上しなさいという目的です。今後変化していくのかという疑問はありますが、どの様にしてどの方向にどう向上するのかそれぞれ道があり選択の余地もあります。それに対して我々は助けますし、意欲を持たせてあげることも手伝います。なので、「大いに向上して下さい、そして社会に出た時にそれをもって貢献してください。」という話は学生に言っていますね。

最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

今、国際性に若干陰りが見えているような気がします。僕自身も、英語が喋れなくても世の中通れるのではないかという気もしています。しかし、やっぱりそう簡単にはいかない世界なんだということも事実なんですよね。日本が今人口減でいずれ8000万人ぐらいになるかもしれないと言われています。1億を切ると市場性が若干下がりますので、日本の中だけで商売していれば生きられるということではなくなってきます。そうしますと、やはり外を向いて仕事をしなくてはならないというのはいずれ出てきますよね。若い人もそれに気が付いた方が良いのではないかと思います。しかし、我々にはそれを教える術がありません。なぜならそれは感覚的なものであって、「ちょっと危ないな」という感覚を証明する手段がないからです。

全員が危機感を持ち始めた時に何が起きるかと言いますと、例えば借金をどうやって減らすかということにつながってきます。少しずつ減らそう、あるいは切り捨ててしまおう。そういった議論はあるかもしれないですけど、全員が一致団結してやろうという企業になると思います。それは全員がそう思わないと出来ませんし、自分だけ抜けようとする人間が1人でもいたら上手くいきません。そこを全員がなんとか意識するようにして欲しいと思います。危機感を持ちすぎても良くないけれども、もしかしたら危機になるかもしれない。だからなんとかしてみんなが生き残れるようなことを考えていこう、みんなで助けていこう、それだけで十分だと思います。エンジニア就活読者の皆さんも多くのチャンスが転がっていると思いますので、ぜひチャレンジしてみてください!

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