大学の理系学生・文系学生についてよく言われるのが、文系学生の暇さ。理系の学生がうらやんで・皮肉的に言うだけでなく、文系の学生自身も自虐的になのか、よくそのことを口にします。世間一般でも、モノやサービスの提供に直結しない文系に意味があるのか、という文系出身者を軽んじる表現を耳にすることがあります。
ここでは、本当に文系学生は軽んじられてよいのか、彼らの存在意義について考えてみます。
文系・理系とはなにか?
まず、必ずといっていいほど出てくる議論が、そもそも文系と理系を分けている教育制度がおかしいんだ、という意見。しかし、これはこの議論の上では、あまり本質をついていません。確かに若いうちに文系・理系を区別することは教育上あまり優れていない制度かもしれませんが、ここでいう文系・理系はそういう意味ではないであろうからです。
経験上ですが、筆者は文系・理系の違いは、
- 文系:物事に関してある仮定をおいて、推論・可能性をもとに議論し、ストーリーの創造と破壊を繰り返す人々
- 理系:事実と計算・数学的確率に基づき、一つ一つ積み重ね、ある事柄・モノを生み出していく人々
のことだと思っています。つまり、大きな違いは、「前提」の意味が違うこと、それと「議論の破壊」の概念があるか、ということではないでしょうか。
一般的な文系・理系のイメージ
議論
一般的に、文系は場慣れしており、アドリブに強いというイメージがあります。議論の感じとしては、文系は仮説からの行為の導出をする傾向にあり、さらに議論の正当性よりも議論を先に進めることを大切にします。理系は議論の一歩一歩で定義に即しているかを大切にします。
知識
知識の多寡は一概には比べられません。ただ、一般的に文系の学生は幅広い知識をもち、理系はある分野に秀でた知識をもつようです。それは、理系の「積み重ねる」という特徴からもくるものでしょう。
情報量
文系の学生は、ともかく情報を得るスピードが早いです。いろいろなことに常にアンテナを張り巡らせ、講義の楽不楽の情報から就活の情報、周りの人間関係の情報など、方々手を尽くして情報を集めます。一方、理系は確実性の高い情報を大切にします。スピードよりは、論理的な正しさを重要視するようです。
大学における文系の意義とは
文系の学生は、ややもすれば学生時代にコミュニケーションと情報収集だけで済んでしまうことがありますが、それはすごくもったいないです。もちろんその能力はすばらしく、理系の一部の人々に嫉妬されるほどです。ただ、今の時代はIT技術なしには語ることができません。文系寄りのマーケティングの分野ですら、統計やビッグデータを使用した解析が行われています。こういったスキルを情報収集能力があり、柔軟な議論のできる文系の人々が身に付けることができれば、その人の社会的意義はぐっとあがるでしょう。
文系学生は大学でプログラミングや統計の講義はあまりないかもしれませんが、だからこそ自主的に学習してみてはいかがでしょうか。エンジニア就活では、プログラミング勉強会を行っております。文系学生だからこそ、プログラミングを学び、自分の知識・スキルの幅を広げてみてはいかがでしょうか?
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