世間ではAppleといえば、故スティーブ・ジョブズのイメージが強いですが、エンジニアの皆さんであればご存知、スティーブ・ウォズニアックもAppleを語る上で欠かせない存在です。
スティーブ・ジョブズとの出会い
スティーブ・ウォズニアックはカリフォルニア州サンノゼの生まれで、父はロッキード社のエンジニアでした。アマチュア無線の免許を6歳の時に取得、わずか13歳の時にトランジスタを組み合わせて原始的なコンピュータを作り、科学コンクールに優勝した、まさに天才です。 そんなスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズとの出会いは、1971年のヒューレット・パッカードでの夏季インターンシップでした。二人は正確も外見も全く違いましたが、すぐに意気投合し最高のパートナーへの道を歩み始めました。
名誉も富もいらない!?エンジニア一筋で生きるウォズ
世界初のパーソナルコンピュータであるApple Iと、キーボードやメモリ、CPU、画像出力装置、外部記憶装置、音声出力装置とのインターフェース、プログラム言語などのオールインワンパッケージ化を可能にした最初のコンピュータであるApple IIの開発を1人で成し遂げたのもスティーブ・ウォズニアックです。 学生時代のウォズとジョブズのエピソードにある、二人で発明したフリーキング装置(不正に無料電話をかけることの出来る装置)を作ったことで満足したウォズに対し、ジョブズはそれを大学の寮で売りさばいたという話があります。 とあるインタビュー記事で本人が答えていますが、ウォズの第一の目標は一生エンジニアとして働くことだったそうです。ですから昇進はしないし、創設者であるにも関わらず、管理職になったことは愚か、部下を持ったこともありません。組織的な立場としては最下部にとどまり続け、あくまでもエンジニアとして好きなことを続けているのです。誰もが地位や名誉を求める中、エンジニア一筋で生きてきたウォズは自分の人生は幸せだと言っています。 ここからもわかるようにウォズは、経営には全く興味を示さず、名誉も富も求めずにエンジニアに徹してきたのです。
温厚で謙虚。慕われ続けるウォズ
Appleを支えた天才エンジニアはどんな人物なのでしょうか。ウォズはサービスマネジメントの年次カンファレンス「Pulse 2012」でこんなことを話しました。 あるときジョブズに頼まれてブロックゲームの改良をウォズが手がけました。ジョブズからの要望で、ウォズは徹夜をして、1人で、たった4日でそれを完成させました。するとジョブズはそれを『二人で作った』と周りには話し、報酬を手に入れました。普通ならば腹を立ててもおかしくない状況に、ウォズは全く怒りもしませんでした。ゲームを作って子どもたちが喜んでくれたらそれでいいのだと、そのために自分は頑張ったんだと彼は話します。 また、ヒューレット・パッカードから、報酬を5倍にするからとヘッドハンティングされた時も、自分のやりたいことが出来そうにないという理由で断りました。あくまでも彼の中で重要なのはエンジニアとして自分のやりたいことが出来るかどうか、ということだということがよくわかりますね。 さらに、人生で成し遂げたい事を聞かれたウォズは『テトリスで7万5000点を出すこと』と答えるなど、おちゃめな一面も伺えます。コンピュータを発明した偉大なエンジニアはどこまでも謙虚で温厚な人格者なのです。
ウォズがジョブズについて語ったこと
亡きジョブズへウォズは語ります。 ジョブズの死はウォズにとって世界がジョン・レノンを失った時のような衝撃だったといいます。ビジネスの世界では誰もが認める才能の持ち主であったことは間違いなく、そのことはウォズが一番身近に感じ、彼の才能を認めていたに違いありません。 また、ビジネスのパートナーであったとともに、『友達』だったとウォズは話します。ジョブズとともに過ごした人生の多くの時間は本当に楽しかったのだと、ジョブズがいなくて寂しいと涙を流しました。 スーパーエンジニアとスーパー経営者は、生涯の友であり、最高のパートナーだったのです。あなたもスティーブジョブズが、スティーブウォズニアックとヒューレットパッカード社のインターンシップを通じて知り合ったように、生涯の共を見つけてみてはいかがでしょうか?
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