ニクラウス・ヴィルトとは?
プログラミング言語Pascal、Modula-2などの開発をおこなったソフトウェア工学分野の先駆的研究者ニクラウス・ヴィルト(Niklaus Wirth)は、1934年にスイスのヴィンタートゥールで生まれました。
ヴィルトはチューリッヒ工科大学で電気工学の学位を取得したのち北米へ渡り、カナダのケベック大学で修士課程を修了、1963年にアメリカのカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得しました。
その後スイスに帰国したヴィルトは、チューリッヒのスイス連邦工科大学で教鞭をとる傍ら、1968年にプログラミング言語Pascalの草案を発表しました。Pascalという名称はフランスの数学者・哲学者のブレーズ・パスカルにちなんでいます。
Pascalのコンパイラは1970年に初めて、当時最高速のコンピュータだったCDC6600に実装されました。
Pascalに関するエピソード
C言語およびUNIXの研究開発への貢献で知られるブライアン・カーニハンは1981年に、「Why Pascal is Not My Favorite Programming Language」という小論文を書いてPascalを批判しています。カーニハンは小論文の中で、「Pascalは制限が多すぎて実用には適さない」「教育用のおもちゃの言語である」と述べています。
プログラミング言語の生みの親たち
さまざまなプログラミング言語を開発した人々について見ていきましょう。
まつもとゆきひろ
1965年に大阪府で生まれ、鳥取県で育ったまつもとゆきひろ、通称Matzは、効率的に記述できるプログラミング言語の実現を目指して1993年にRubyの開発を始めました。95年に発表されたRubyは日本国外にも広く普及しています。Rubyは日本で開発されたプログラミング言語としては初めて国際電気標準会議で国際規格に認証されました。
まつもとは2012年に内閣府より「世界で活躍し、『日本』を発信する日本人」の一人に選ばれています。
ブライアン・カーニハン
Pascalを批判したブライアン・カーニハンは1942年生まれ、カナダのトロント大学を卒業したのちアメリカのプリンストン大学で博士号を取得しました。AT&Tベル研究所に就職したカーニハンは、ケン・トンプソンやデニス・リッチーと共にUNIXとC言語の開発に深く関わることになりました。
1978年に発表したデニス・リッチーとの共著『プログラミング言語C』は十数か国後に翻訳され、今なおプログラミングを学ぶ人のバイブルとなっています。
ビャーネ・ストロヴストルップ
ビャーネ・ストロヴストルップは1950年にデンマークに生まれ、イギリスのケンブリッジ大学で博士号を取得しました。その後アメリカに渡ったストロヴストルップは1983年に、C言語を拡張しオブジェクト指向プログラミングを可能にしたC++を開発しました。
ストロヴストルップはカーニハンと同じくAT&Tベル研究所に勤務したのち、現在はテキサスA&M大学他で教授・フェローを務めています。ストロヴストルップは2004年に全米技術アカデミーの会員に選出されました。
ニクラウス・ヴィルトの残した名言
ヴィルトは1995年に、「ソフトウェアはハードウェアが高速化するより急速に低速化する」と述べました。この言葉はヴィルトの法則として知られており、ハードウェアが時代と共に高速化しているのは明白であっても、必ずしも十分ではないことを表しています。Google創業者ラリー・ペイジも2009年にヴィルトの法則と同様のことを述べています。
ヴィルトはPascalのほかにも、プログラミング言語ALGOL W、Modula、Modula-2やオペレーティングシステムOberonのチーフデザイナーを務めています。これらの功績によりヴィルトは、計算機科学分野で世界最高の権威を持つとされるACMチューリング賞を1984年に受賞しました。ヴィルトが1975年に著した『アルゴリズムとデータ構造』は日本語にも訳されており、今なお広く読まれています。