ビルゲイツが保有する富の総額は?
アメリカの長者番付・Forbesによりますと、2014年版第1位はやはりビル・ゲイツ。彼の総資産は810億ドル。日本円に換算すると約8兆9億円という夢のような数字ですが、これは`「米国人口の45%にあたる1億1,250万人の米国人の富の総額」だそうです。
21年連続1位の座を守り続けるゲイツ氏は、現在マイクロソフト社の共同創業者であり、元会長であり顧問でもあります。またイギリス女王より名誉騎士、早稲田および立教大より名誉博士の称号をおくられているそうで、その冠だけでもまことに輝かしいかぎりです。
ビルゲイツはなぜ成功できたのか?
1980年、IBMはアップル社の成功にヒントを得て、パソコン市場に本格的に乗り出しすことを決定しました。短い間で開発することをめざしたため、OSについては自分の会社で手がけることをやめて、もともとあるOSを改良して使うことにしました。
IBMは当初は他社に改良を依頼していましたが、条件が折り合わず決裂したので次に白羽の矢が立ったのがマイクロソフト社でした。OSの開発を行っていた同社はSeattle Computer Products社から56000ドルで入手したOSをIBMのパソコン用に改良し、PC-DOSとして完成させました。
そしてさらにそのOSをMS-DOSという名前で、他社のパソコンにも提供したのでした。つまり最初からOSをビル自身が作り上げたわけでは実はないのです。
ビルゲイツの共同創業者ポール・アレン
この写真は1981年のゲイツとポールアレンの写真を2011年に再現したものですが
ゲイツの名前は知っていても、ポールアレンとなると知らない方が多いのではないでしょうか?
ポールはビルとともに、マイクロソフト社を創立し、 その礎を築いた人物です。負けず嫌いのビルに対して、ポールを知る人たちは一様に彼のことを「柔和な性格」と語ります。
ゲイツが若々しくどちらかといえば童顔であるのに対して、ポールは落ち着いて見える分、老けた顔でもありました。2人は揃ってシアトルの私立の名門校に通っていましたが、その学校で「テレタイプ端末」がビルが中学2年の時に導入されました。
このテレタイプとの遭遇により、コンピューターへの世界に強く魅せられたのが、ゲイツとアレンの2人でした。2人のプログラミングの実力はみるみる向上していき、学校外の仕事も請け負うほどになりました。
2人はそれぞれ違う大学に進み、アレンはワシントン州立大学を中退し、ボストンの会社で働き始めます。ゲイツはハーバード大学に通い、ボストンで再会をはたします。1975年ポピュラー・エレクトロニクス誌の記事に刺激を受けた2人はMITSのエド・ロバーツに売り込みを行った上で「マイクロソフトBASIC」を開発します。
アレンにつづいてゲイツもMITSに参加しますが、この間2人はマイクロソフト社も設立します。マイクロソフトBASICが成功し、ついに2人はMITSと別れることになります。1980年IBMとのMS-DOSの共同開発で会社はさらに飛躍を果たしますが、アレンに悲劇が襲います。
1982年に首の部分にしこりが見つかったアレンは不治の病「ホジソン病」と診察され、治療のためいったん社を去りますが、誤診だったことが1990年にわかります。晴れて復帰するアレンは、ゲイツには及ばないものの富豪となります。母校などにも莫大の寄付をしているそうです。
しかし、あの時、もし誤診がなかったら、彼はゲイツと並び立つ世界に知れ渡る有名人になっていたことでしょう。そういう意味では不運な天才といえるでしょう。
出典:忘れ去られた悲運の英雄
ビルゲイツの名言を紹介します
ここでは、成功者としてのビルゲイツの名言の数々をご紹介していきます。
是非参考にして、心に響くものがあれば、これから生活していくうえで大事にしてください。
- 人生は公平ではない。それに慣れよ。
- ウィンドウズにどんな機能がついているべきかを決めるのは誰なのか。それは、ウィンドウズを買ってくれる消費者だ。
- 問題は未来だ。だから私は、過去を振り返らない。
- 成功は、最低の教師だ。優秀な人間をたぶらかして、失敗などありえないと思い込ませてしまう。
- 最初から、我々の目標は「すべての机と、すべての家庭にコンピュータを」だった。
- ハンバーガーを引っくり返すということは沽券(こけん)にかかわることではない。君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。それはチャンスと呼ばれた。
- 私はものごとをとことん突き詰めるのが好きなんだ。そうすれば、たいてい良い結果が出るから。
出典 :ビル・ゲイツの名言格言