フォン・ノイマンの人物像
アインシュタインも認める天才、ジョン・フォン・ノイマンとはどんな人物だったのでしょうか。
ジョン・フォン・ノイマンは、1903年12月28日、ハンガリーのブタペストで生まれ、幼い頃から「神童」と呼ばれていました。電話帳を1冊暗記することが出来た、8歳の時には微分積分をマスターしていた、と伝説のように語られていますが、本当の彼はどのような人物だったのでしょうか。
彼は、どんな学問でもこなせました。しかし、自分の好きな数学を選び、ブタペスト大学、スイス工科大学、ベルリン大学の3大学に同時に在学し、数学、そして化学の学位を取得しました。
大学卒業後、ドイツのゲッチンゲン大学へと進みました。そして、1920年代のゲッチンゲン大学では量子論について世界でも屈指の研究を行っており、ノイマンも量子論の研究を行います。
彼は新しいものが好きのだったため、当時のヨーロッパの古い体質が合わず、大学教授にはなれませんでした。そこで、新しいチャンスを求めてアメリカに渡ります。
ノイマンはアメリカという新しい場所で、有数の歴史をもつプリンストン大学で仕事を得ることが出来ました。そして、そこでアインシュタインらとともに研究することになるのです。
彼がアメリカの市民権を得たのもこの時期です。この頃ドイツではナチスが第一党となっており、ユダヤ人である彼はもうドイツには戻ることができないだろうと覚悟を決めました。それからの彼はアメリカの為に働くことを決めました。
アメリカでの最初の仕事は、弾道計算を行う為のコンピュータの開発でした。そして、ドイツ軍の「エニグマ」と呼ばれる暗号作成機の解析を行う等、軍事目的の研究に携わることになります。やがて、ノイマンは原子爆弾開発プロジェクト「マンハッタン計画」へ参加します。
アインシュタインは、自らの発明や仕事について、自ら責任をもつ必要があると言い続けていましたが、ノイマンは「科学者は生み出したものの使い道に考えるのには適さない」と言っています。あくまで、自分の研究結果がどう使われようと、ノイマンは口を出すことはありませんでした。
しかし、コンピュータや核兵器の開発に携わっていましたが、彼自身は実に穏やかで人に好かれた人物だったと言われています。天才と言われていたノイマンですが、あくまでも一人の科学者、一人の人間だったのです。
フォン・ノイマン型のコンピュータこそが今のコンピュータのスタンダード
現在のコンピューターは、プログラムをデータとして記憶装置に格納し、実行する方式をとっていいます。この方式がノイマン型コンピュータと呼ばれるものです。
世界最初のノイマン型コンピュータは1949年にイギリスで開発された「EDSAC」でした。1942年に世界最初のコンピュータABCが開発されましたが、計算をするたびに真空管の配列や配線を変更する必要があるため、汎用性がありませんでした。
そこでノイマンは、プログラムからハードウェアを独立して実行させる方式を発表しました。ソフトウェア(プログラム)という概念もこの時に誕生したのです。
ノイマン自身もノイマン型コンピュータ「EDVAC」の開発を行っていましたが、開発が遅れてしまったために、イギリスの「EDAC」が世界初のノイマン型コンピュータとなったのです。
また、「EDVAC」の基本設計はジョン・エッカートとジョン・モークリーによって考案されたと言われており、ノイマン自身は途中から参加していました。それにも関わらず、ノイマン型コンピュータと言われているのはなぜでしょうか。
「EDVAC」は軍事機密として開発されていたため、2人をはじめメンバーは詳細を公表することはありませんでした。しかし、ノイマンは「EDVAC」の論理的側面をまとめた論文を発表してしまったため、世間では「ノイマン型コンピュータ」として知られるようになりました。
ノイマンはノイマン型コンピュータの着想をまとめて数学的に裏付けを与えただけであり、実際の開発者はまた別だったのです。
フォン・ノイマンが提唱したゲーム理論
経済学部の学生であれば、誰もが授業で履修しているであろうゲーム理論。ノイマンの提唱したゲーム理論とはどのようなものだったのでしょうか。
ゲーム理論は価格競争などの競争相手の行動が自己の遺志決定に大きな影響を与えるケースで活用されている、ゲーム理論。複数のプレイヤー間で、それぞれの行動が影響し合う状況を、各人の利益に基づき相手の行動を予測しながら意志決定を行う考え方です。
プレイヤーの行動により、協力ゲーム理論・非協力ゲーム理論は以下のようにわかれます。
協力ゲーム理論
- プレイヤー同士の会話や協力があることを前提としており、最終的な合意に拘束力がある。
非協力ゲーム理論
- 各プレイヤーの戦略と利得で行う戦略型ゲーム
- プレイヤーの意思決定を時間の流れで表現する典型型ゲーム
ゲーム理論とは基本的にはプレイヤーの合理性を追求した得られた解でしたが、様々なゲーム的分析の結果、現実的には経験しない解を導くことがあることが明らかになってきました。
プレイヤーは必ずしも合理的ではないという、限定合理性という考え方です。そして、それに対してのアプローチとして、進化ゲーム理論と学習があります。この理論により、社会慣習・制度の形成過程が明らかにされるかもしれないと期待されています。
そして、実際に人間を使った実験によってゲーム理論の再検証により、様々な実験が行われております。現在のゲーム理論を踏まえ、やがて新たな理論が構築されることでしょう。
コンピュータの歴史
ノイマン型コンピュータがケンブリッジ大学で開発されたのが1947年。パーソナルコンピュータの歴史はまだ70年ほどしか経っていません。
パーソナルコンピュータという言葉が初めて使われたのは、1962年のニューヨーク・タイムズ紙でした。この記事では、将来は普通の子ども達がコンピュータを使用する時代になるだろうと述べています。今、まさしくその時代となったのです。
1970年代頃に8ビットマイクロプロセッサを搭載されたコンピュータが限定されていはいますが、価格的に手に入る時代となってきました。その後、Appleよりワンボード型のコンピュータが発売され、次第に人々の手にコンピュータが普及していきます。
1980年代にはIBMが16ビットのコンピュータを発売し、1990年代にはネットワークの技術が発展してきました。UNIX OSやWindows OSもこの頃開発されました。
日本でもパーソナルコンピュータが普及し、1962年のニューヨークタイムスの予言が現実となってきています。
コンピュータの技術革新は目覚ましい進歩を遂げています。今後のコンピュータの歴史はどうなるのでしょうか?フォン・ノイマン型ではない新しい形のコンピュータも生まれてくるのかもしれませんね!