ジョン・G・ケメニーとは?
ジョン・G・ケメニーはユダヤ系アメリカ人で、数学者、計算機学者、さらに教育学者です。1925年、ハンガリーブダベスト生まれ。
1964年にトーマス・E・カーツとの共同作業で、プログラミング言語BASICを開発したことで有名です。
1970年から1981年まで、ダートマス大学の理事長として、いちはやく大学にコンピューター教育を取り入れました。
1979年にはスリーマイル島における、原子力発電所事故の事故調査委員会委員長を務めました。
プログラミング言語「BASIC」とは?
プログラミング言語のひとつであるBASICが世界で初めて誕生したのは、1964年です。
「INPUT」や「PRINT」など、自然な言葉に近い平易な表現を用いることができるプログラミング言語として、画期的なものでした。わかりやすい表現を用いることで、プログラミングのハードルをぐっと下げることに成功しました。
ニューハンプシャー大学で数学教授をしていたケメニーは、同大学で同じく数学教授をしていたトーマス・カーツと共に、学生に対するコンピューター教育の浸透を図りました。
そのために開発されたのが、「初心者向け汎用記号命令コード(Beginner’s All-purpose Symbolic Instruction Code)」、略してBASICです。
初心者向けのコンピュータ言語として、1970年代以降のコンピュータで広く使われました。現在でも、Microsoft Windowsアプリケーションの主力開発言語であるVisual Basicの文法に影響を残しています。
「BASIC」のプログラミング言語としての特徴とは?
当時のコンピューターは、一度にひとつの処理しか行えず、ジョン・G・ケメニーが目標とする、
「必要な時に誰でもコンピューターに触れられることが必要である」というものとは程遠いものでした。
1956年からダートマス大学に加わったトーマス・カーツにより、CPUの処理時間を分割して一度に複数の処理を並行して行うことができるタイムシェアリングシステムの概念が導入され、多くのユーザーにコンピューター環境を提供することに成功します。
当初のシステムの構築では、人間にも理解しやすいように設計された高水準言語(高級言語)であるFORTRANやALGOLといったプログラム言語が用いられていました。
しかし、記述のルールが複雑すぎるということで普及していませんでした。ケメニーはカーツと共に、より人間の言語に近いプログラミング言語の開発に乗り出します。
例えば、「HELLO」や「GOODBYE」と入力するだけでコンピューターがリクエストを理解して、ログインやログオフといった動作を行うことを可能にする言語を目指したのです。
1964年には、ダートマス大学の学生向けにもコンピューターが公開されました。
ジョン・G・ケメニーの学生時代とは?
ハンガリー生まれのケメニーは英語を話せませんでしたが、ジョージ・ワシントン高校に入学しました。
学業優秀で、1944年に首席で高校を卒業、奨学金を得てプリンストン大学に進学、数学を専攻しました。
1945年、徴兵のため陸軍へ入隊し、原爆研究で有名なマンハッタン・プロジェクトに参加して、コンピューターの運用を任されました。
1年間の兵役期間で上司だったのが、二人の天才ユダヤ人です。
一人は数学者でプリンストン高等研究所のジョン・フォン・ノイマン、もう一人はプリンストン大学で博士号を取得した物理学者で、のちにノーベル賞を受賞するリチャード・ファインマンです。
1947年、プリンストンへもどり大学院に進学し、在学期間にアルバート・アインシュタインの研究助手を務めていたこともあります。