セキュリティソフトといえば、「ノートンインターネットセキュリティ」の名が思い浮かぶ人も多いでしょう。「ノートン先生」の愛称でも知られていますが、今回は、このノートン先生の人生を紹介します。
ノートンのつくったソフトウェアとは?
ノートン先生こと、ピーター・ノートンは、1982年、ピーター・ノートン・コンピューティング社を設立しました。ピーター・ノートンが開発した「ノートン・ユーティリティーズ(Norton Utilities)」は、MS-DOSやMachintoshのファイルシステムのメンテナンスやディスクのデフラグ(断片化解消)、削除ファイルの復活などができるソフトウェアで、1980年代に大ヒットとなりました。黄色の製品パッケージにはピーター・ノートンの写真が掲載され、ここから「ノートン先生」の愛称が生まれました。
ノートン・コンピューティング社は、1988年には売上を1500万ドルに達し、業績好調にも関わらず、1990年に、ノートンは、すべての事業をシマンテック社に売却してしまいました。売却されたソフトウェア製品群には、「Norton AntiVirus」「Norton Internet Security」「Norton System Works」など、現在でもノートンの名が冠されています
ノートンは天才エンジニアであるだけでなく、コンピューター技術を誰よりも分かり易く説明する才能に長けていた
ノートン・コンピューティング社を世界の大企業に育てた、ピーター・ノートンの生い立ちを追ってみましょう。
ピーター・ノートンは、1943年、アメリカ、ワシントン州に生まれました。スティーブ・ジョブズが中退したリード大学を1965年に卒業したあと、ボーイング社、ジェット推進研究所(JPL・NASAの関連研究所)で就業し、メインフレームや、ミニコンなどを操作していました。1981年に元祖パソコンといえる「IBMパソコン」が発表されると、ノートンも手に入れようとします。
しかし、そのころ、JPLを解雇され無職のノートンは、プログラミングでパソコン購入の資金を集めようとしたのです。
ある時、彼は、誤って作りかけのプログラムファイルをディスク上から消去してしまいます。このデータを復旧させるために、彼はなんと、ディスク上のデータを復活させるプログラムを開発してしまうのです。無事完成したプログラムは、本人だけでなく、周囲の友人にも重宝がられ、ノートンは、ほかのユーティリティソフトとともに、販売を始めます。これがノートン・コンピューティング社の始まりです。
ノートンは、それまでに開発したユーティリティソフトを統合したのが、「ノートンユーティリティ」です。ノートン自ら、宣伝チラシをユーザーミーティングで配り、パソコンショップに置いてもらうことで宣言活動を行い、ノートン・コンピューティング社の直販で販売しました。
ピーターノートンは、優れたプログラマー、エンジニアであると同時に、顧客のニーズを汲み取り、答え、広めていく営業マンとしての才能も持ち合わせていたのです。
現在はプログラマーから美術商になった異色のキャリアチェンジ
その後の、ノートン・コンピューティング社の発展そして、シマンテック社への事業売却は前述のとおりです。ノートンは、会社の売却益を元手に、現代アートを専門にした画商を始めます。ニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめとした美術館の理事、評議員を務め、アメリカのアートシーンへの影響力は強大となっています。
ノートン・ファミリー財団の設立へ
ノートンは、1989年に当時の妻と共にノートン・ファミリー財団を設立しました。毎年、人道的で文化的な活動をしている人に補助金を交付し、ビルゲイツも財団も運営しています。ノートン・ファミリー財団は、世界屈指の現代美術コレクションを有し、『ARTnews』誌が毎年選ぶ「世界のトップコレクター200人」では常に上位にランクインしています。
ピーター・ノートンは、プログラマ、営業マン、社長と、渡り歩き、その都度、周囲と異なる独自の発想で、世界を制覇してきましたが、画商という、まったく異なるジャンルでも、やはり世界を制覇しています。