世間では、Microsoft社といえばビルゲイツのイメージが強いかもしれません。しかし、エンジニアもしくはプログラマーとして社会に出ようとしている皆さんならばもちろんポール・アレンのこともご存知ですよね?
ポール・アレンはアメリカの企業家です。彼はなんとあのMicrosoft社をビルゲイツと共に立ち上げた共同創立者です。その他にも投資家や慈善事業家として幅広く活躍しています。
ビルゲイツとポールアレンの出会いとは?
ポール・アレンはワシントン州シアトルで生まれ、彼の父親はワシントン大学図書館の副理事長をしていました。ポール・アレンはレイクサイドスクールという私立の名門校に通います。子供達のコンピュータ教育のために寄付を集め、レイクサイドスクールにはタイムシェアリングサービスを受けられるテレタイプ端末が導入されていました。
そこでポール・アレンはビルゲイツに出会うのです。学校ではテレタイプ端末を使用してプログラムを開発していました。その中でも、ポールアレンもビルゲイツもかなり優秀であったようです。2人とも負けず嫌いで競い合っていたそうです。
性格には大きな隔たりがあったそうです。ポール・アレンは実現性は別にして、「アイデア・マン」と呼ばれるほど様々アイデアに溢れている人物てあるのに対して、ビルゲイツは「行動する男」と呼ばれるほど現実的にモノになるものにしか興味がない人物だそうです。
そんな性格が違う2人ですが将来、Microsoft社を起業することになります。
再び一緒に開発をした大学生時代
1972年春、ポール・アレンはワシントン州立大学へ進学します。その時、ビルゲイツは仲間と共にマイクロプロセッサを使用したコンピューターを作ろうとトラフ・オー・データ社という会社を立ち上げます。
ポール・アレンはワシントン州立大学で学生生活を謳歌します。その学生生活の中で、アセンブリ言語を用いて、インテル8008チップの動作をシュミレートするプログラムを作ります。シュミレートするプログラムを作ったということはハードウェアが存在せずとも開発を進めることができるということです。このまずシュミレータを作るという開発手法はMicrosoft社の伝統として定着しています。
一方のビルゲイツは、トラフ・オー・データ社はそこそこ成功したものの、1972年秋にボストンにあるハーバード大学へ進学します。数学を専攻しますが、何をしていいのか分からずカードゲームに明け暮れて堕落した学生生活を送ります。
その頃、ポール・アレンは2年生の終りさしかかり大学を中退し、ボストンにあるハネウェル社でプログラマーとして働いていました。そこで、ポール・アレンとビルゲイツは再会を果たすのです。
その後、ポール・アレンはビルゲイツに大学を中退を勧め、一緒に会社を作ろうと説得するのです。
ソフトウェアのビルゲイツ、ハードウェアとインターフェースのポールアレン
ポール・アレンはハードウェアとインターフェースに強いという特徴を持っていました。それに対し、ビルゲイツはソフトウェアにしか関心がなく、2人の興味は対照的と言えます。
さらに、前述で説明した通り、ポール・アレンはロマンチストな「アイデア・マン」と呼ばれているのに対し、ビルゲイツはリアリストな「行動する男」と呼ばれていました。興味だけでなく性格も対照的なのがうかがえます。
開発は2人で行い、営業はポール・アレンが行い交渉はビルゲイツが行いました。そうやって、技術も性格もお互いを補完しあっていくことで素晴らしいコンビネーションを発揮しました。その甲斐あって、1980年にMS-DOSのIBM社との共同開発でMicrosoft社は拡大していきます。
ポール・アレン、ビルゲイツどちらか1人でも欠けていたらMicrosoft社に今の成功はなかったでしょう。誰にでも必ず自分の不得意な分野や技術というものはあるものです。そんな部分を補い合えるポール・アレンとビルゲイツの様な仲間をインターンシップで探してみませんか?